表明保証保険(W&I保険)とは|M&Aで移転できるリスクと売主に残る責任
こんにちは。LegalAgent 代表弁護士の朝戸です。
SPAの表明保証条項の交渉が終盤で止まることがあります。買主は表明保証の範囲を広く、補償の上限を高く、期間を長くしたい。売主は、譲渡代金を受け取った後まで責任を引きずりたくない。双方の主張が動かなくなったとき、「表明保証保険を使えば解決するのではないか」という提案が出ることがあります。
表明保証保険(Warranty and Indemnity Insurance、W&I保険)は、この対立を消す仕組みではありません。表明保証違反によって生じる一定の経済的損害を、保険会社という第三者に移す仕組みです。移せるのは、違反が生じた場合の金銭的な回収リスクにとどまります。デュー・ディリジェンス(DD)、SPAの表明保証条項、開示資料、免責・除外の設計、売主の責任範囲は、保険に加入した後も必要です。
表明保証保険で移転するリスクと、契約に残るリスク
表明保証保険には、買主が保険契約者・被保険者・保険金受取人となって保険を購入する買主側保険と、売主が保険契約者・被保険者・保険金受取人となる売主側保険の二つの型があります。買主側保険では、表明保証違反に基づく損害を買主が保険会社に直接請求します。売主側保険では、買主がいったん売主に補償を請求し、売主がその補償のために保険会社へ保険金を請求する形をとります。『M&A契約 モデル条項と解説』は、実務的には買主が保険を購入する場合が一般的であると解説しています(174頁)。
保険が引き受けるのは、表明保証違反を原因とする損害です。ここで区別しておきたいのが、表明保証違反、誓約(クロージング前後の作為・不作為義務)違反、既知事項、特別補償という四つのリスクの性質です。表明保証保険が対象とするのは、契約締結時点で当事者が認識していなかった表明保証違反に限られます。誓約違反に基づく補償請求は、通常のSPA上の補償条項がそのまま残ります(同書176頁)。
既知事項、すなわち保険加入の時点で買主が知っていた表明保証違反は、保険金請求の対象になりません(同書175頁)。DDで発見済みの訴訟など、契約締結時点ですでに特定されているリスクは、特別補償として個別に手当てされることが多く(同書172〜173頁)、この種のリスクも表明保証保険の対象にはなりません。保険が受け止めるのは、調査してもなお把握できなかった違反です。調査済みで契約に書き込まれたリスクは、表明保証や特別補償としてSPA側で処理します。
検討開始から保険引受けまでに何を準備するか
表明保証保険の付保までには、一定の準備と保険会社による審査の期間を要します。ブローカー又は保険会社との間で秘密保持を確保したうえで、DDの資料やDDレポートを保険会社に提出し、引受審査を受ける必要があります(中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)」53頁)。保険会社は、この審査を通じて、対象会社にどのような表明保証違反リスクがあるかを独自に評価します。
引受審査では、SPAのドラフトも保険会社と共有することになります。表明保証の範囲は、保険会社が付保の対象として引き受けられるかどうかによって左右されるため、売主・買主間の交渉に加えて、保険会社との交渉が別途必要になります(同書175〜176頁)。保険会社からDD未了の領域や表明保証の文言について追加の質問が来ることもあり、Q&Aへの対応が交渉の一部として組み込まれます。
日程や保険料は、対象会社の業種、取引規模、DDの進捗、保険会社の引受方針によって変わり、案件ごとに保険会社・ブローカーへ確認する必要があります。SPAの交渉スケジュールと保険引受けの審査スケジュールがかみ合わないと、クロージング直前になって保険条件が確定しないという事態も起こり得るため、検討を始める時期をSPA交渉の初期段階に前倒しする判断が求められます。
DDの深さと付保範囲の関係
表明保証保険は、対象会社に関する表明保証の多くを付保対象にできますが、性質上保険の対象にできない事項があります。刑事罰の対象となる事項や反社会的勢力の排除に関する表明保証は、その典型です。また、環境や税務に関する表明保証は、通常の表明保証保険では付保対象とならず、これらを対象にする場合には特別の保険の購入が必要になることがあります(同書175頁)。税務・環境に関する表明保証の扱いは商品と案件によって異なり、一律に対象外と決まっているとは限りません。
保険会社が支払う保険金の範囲には、補償の対象とされる損害・損失・費用に加えて、補償請求について調査・和解・防御等をするために負担した合理的な費用も含まれ得ます(同書175頁)。もっとも、この範囲はあくまで表明保証として付保された事項に限られます。DDで調査していない領域は、表明保証として明記されていない限り、当然に付保対象になるわけではありません。DDの範囲を絞る判断は、調査コストを抑える判断であると同時に、付保範囲を絞る判断でもあります。DDの進め方は法務デューデリジェンスの目的・流れ・必要資料で説明しています。
保険を使ってもSPAに残る条項
表明保証保険を購入しても、SPAの表明保証条項はそのまま残ります。保険金支払いの原因はあくまで売主による表明保証違反であるため、SPAには引き続き売主による表明保証の規定が置かれます。この表明保証は、クロージングの前提条件としても必要とされます(同書175頁)。誓約事項の違反等に対する補償は保険の対象外として残るため、補償条項自体もSPAに残ります(同書176頁)。SPA全体の補償・価格調整・クロージング条項の構造はSPA(株式譲渡契約)の補償・価格調整・クロージングで確認できます。
買主側保険を購入した場合、保険の対象となる範囲では、買主は売主に直接補償を請求せず、まず保険会社に保険金を請求することになります。売主としては、表明保証違反に基づく買主からの請求を表明保証保険への保険金請求のみに限定し、売主に対する直接請求を排除するノン・リコース型の設計を望むことがあります。もっとも、表明保証保険には付保できない表明保証や免責事項があり、基礎的表明保証であっても保険の補償上限・下限が適用されるため、買主としては、保険でカバーされない事項や、基礎的表明保証違反・売主の故意による違反について、売主に対する補償請求の余地を残すよう求めることがあります(同書176頁)。
売主側保険を購入した場合は、買主はまず売主に表明保証違反に基づく補償を請求し、売主がその補償のために保険会社へ保険金を請求する構造になるため、SPA上の表明保証・補償条項自体は、保険を使わない場合と大きくは変わりません(同書176頁)。この場合も、保険会社の付保範囲を踏まえて表明保証・補償条項を交渉する必要がある点は、買主側保険と同様です。
免責・除外・自己負担条項の読み方
表明保証保険には、比較的広い免責事項・除外事項が定められます。保険開始の時点で買主が知っていた表明保証違反等は、保険請求の対象になりません。また、保険金支払いの対象となる事項について、自己負担額(免責額)が設定されることが一般的であり、損害が自己負担額に満たない場合には保険金請求が認められません(同書175頁)。
これらの免責・除外・自己負担の水準は、保険会社、商品、対象会社の業種、DDの内容によって異なります。将来予測に関する表明保証、特定の税務・環境リスクの扱いも、商品ごとの約款・引受条件で定められます。実際の免責額・自己負担額・付保限度額・期間を検討する段階では、当該保険会社の最新の約款又は説明資料を確認し、ブローカーに個別の条件を確認する必要があります。
表明保証保険が合わない案件の見分け方
表明保証保険は、すべてのM&Aに組み込むべき標準装備ではありません。検討を始める段階で、次の観点から相性を確認します。
- 取引規模に対する保険料・引受審査の負担
- SPA交渉スケジュールと保険会社の引受審査期間との整合
- DDの進捗と、付保を希望する表明保証範囲の一致
- 既に判明している重大リスクの性質(特別補償・価格調整で処理すべきものか)
- 保険を使う目的(交渉の円滑化か、交渉の回避か)
DDで既に発見された重大なリスクは、既知事項として保険の対象から外れる可能性が高く、表明保証保険を購入しても、そのリスクへの対応は別途SPAの表明保証・特別補償・価格調整で設計する必要があります。この整理は、M&A法務支援の比較で扱った、法務DDからSPA交渉までを一体で進める体制とも関わります。表明保証違反時の補償責任という観点からは、SPAの表明保証で創業者が見落としやすいリスクで扱った知識限定・重要性限定の考え方も、保険加入の有無にかかわらず必要な検討です。
表明保証保険を検討する場合、翌営業日に確認しておきたいのは、DDが対象とした範囲とまだ調査していない領域の一覧、SPAドラフトにおける表明保証・補償条項の現状案、そしてDDで既に判明している既知リスクの一覧です。この三つが揃っていれば、保険会社・ブローカーへの相談時に、付保できる範囲とできない範囲の見立てを早い段階で得られます。
よくある質問
表明保証保険(W&I保険)を使えば、売主の補償責任はなくなりますか?
なくなりません。表明保証保険は表明保証違反に基づく損害を保険会社に移す仕組みであり、既知事項、誓約違反、保険の免責・除外事項に該当する損害は保険の対象外となるため、SPA上の表明保証・補償条項や、既知リスクに対する特別補償はそのまま必要になります。
買主側保険と売主側保険はどう違いますか?
買主側保険では買主が保険契約者・被保険者となり、表明保証違反による損害を保険会社に直接請求します。売主側保険では、買主がまず売主に補償を請求し、売主がその補償のために保険会社へ保険金を請求する構造になります。どちらの型かによって、SPAの表明保証・補償条項の作り方も変わります。
DDが不十分でも表明保証保険は使えますか?
保険会社は、引受審査の際にDDの結果やDDレポートの提出を求めます。調査していない領域は表明保証として明記されない限り当然には付保対象にならないため、DDの範囲が狭いと、付保できる表明保証の範囲も狭くなる可能性があります。