競業避止義務は、広く書けばよい条項ではない
こんにちは。LegalAgent 代表弁護士の朝戸です。
契約書を作成・確認していると、広い競業避止義務が盛り込まれていることがあります。退職後2年間は競合他社への就職を禁じる、競合事業を自ら営んではならない、類似サービスに関与してはならないといった条項です。従業員や業務委託先との契約に加え、役員・創業者やM&Aの売主との契約にも使われます。
会社が営業秘密や顧客基盤、独自ノウハウを守りたいと考えるのは自然なことです。特にスタートアップでは、限られた人数で深い情報を共有しながら事業を進めるため、主要なメンバーの退職や独立が事業運営に直結しやすい事情もあります。
しかし、競業避止義務は、禁止範囲を広く定めるほど効力が強まるとは限りません。過度に広い制限を課すと、紛争が生じた際に裁判所などで効力が否定され、必要な場面で請求が認められない恐れがあります。
退職後における競業制限の判断枠組み
従業員の退職後の競業制限では、職業選択の自由など労働者の利益も踏まえ、民法90条の公序良俗に反しないかを検討します。在職中であれば労働契約上の誠実義務や忠実義務に基づき一定の競業行為が禁じられますが、退職後は労働者が自らの知識や経験を活かして自由に仕事を選ぶ利益が強く尊重されます。
そのため、退職後の義務付けが有効とされるには、会社側に保護に値する正当な利益が存在し、その利益を守る手段として制限内容が合理的な範囲に収まっているかを個別に検討します。
具体的には、保護すべき企業の利益、従業員の地位や職責、制限対象となる業務・地域・期間、そして代償措置の有無や内容を総合的に見て判断します。一律に「競合への転職禁止」と書くだけでは足りず、何を守るために、誰を対象とし、どの範囲で制限するのかを具体的に詰める姿勢が欠かせません。
その前提として、守るべき企業利益の中身を特定することが大切です。営業秘密、顧客との信頼関係、独自の営業ノウハウ、開発ロードマップ、価格戦略など、何が対象なのかを明確にします。競合他社へ移籍されると事業上困るという主観的な理由だけでは、正当な根拠として認められにくい傾向があります。
あわせて、その情報が客観的に管理されているかも問われます。不正競争防止法上の営業秘密として保護を受けるには、秘密管理性、有用性、非公知性の3要件を満たすことが前提です。誰でも閲覧できる共有ドライブに放置されていたり、持ち出し状況が把握できなかったりする状態では、契約上の条項だけで守る運用には限界があります。アクセス権限や持出防止、秘密保持契約(NDA)も確認し、競業避止義務を誰に課す必要があるか考えます。
制限範囲と対象者の絞り込み
競業避止義務は、全従業員へ一律に課せばよい条項とは限りません。新卒や一般スタッフと、営業責任者や経営陣とでは、接している情報の機密性も事業への影響力も大きく異なります。保護すべき情報に実際に接しているか、義務を課す合理的な理由がある地位かを個別に見極めます。
スタートアップでは少人数ゆえに情報が全社に共有されがちですが、だからといって全員に一律の制限を課すと、採用活動で不利に働く場面もあります。キャリアを過度に制限される条件が採用候補者の判断に影響することもあるため、職務内容や関与プロジェクトに応じて秘密保持義務や持出禁止と役割を切り分け、競業避止の適用対象を絞り込む工夫が現実的です。
あわせて、禁止する業務内容や期間、地域の具体化も欠かせません。「当社と競合する一切の業務」という表現は広い範囲をカバーするように見えますが、対象業務や関与の度合い、地理的範囲が不明確になりがちです。SaaSやネットサービスでは地域制限の設定が難しいため、業務範囲や対象顧客の絞り込みが有効です。
期間についても、退職後何年間も一律に禁止すると必要性や相当性を説明しにくくなります。情報の陳腐化の早さや顧客関係の継続性を踏まえた期間を検討します。たとえば、SaaSの営業責任者であれば競合全体への転職を一律に禁止するより、在職中に担当した既存顧客への営業活動を一定期間禁じる方が実態に合う場合があります。エンジニアであれば、在職中に関与した未公開技術や特定機能の開発への従事を絞って制限する方法も考えられます。
代償措置についても慎重な検討が必要です。退職後の職業選択を制限する以上、その不利益を補う手当の支給や退職金の加算、ストックオプションの付与などが有効性の判断要素として考慮されます。代償措置がないからといって直ちに一律無効となるわけではありませんが、他の事情と合わせて有効性を検討する材料になります。
役員・創業者や業務委託先における留意点
競業避止の論点は、雇用関係にある一般従業員だけにとどまりません。役員、創業者、外部の業務委託先では、前提となる法律関係がそれぞれ異なります。
在任中の取締役については、会社法356条により競業取引を行う際に株主総会の承認が原則として求められます。取締役会設置会社であれば、同法365条により取締役会の承認事項となります。創業者が取締役を兼ねている場合は、この規定や忠実義務、利益相反の観点も踏まえた対応が必要です。創業者という身分だけで当然に退任後の競業避止義務を負うわけではないため、義務を課すのであれば株主間契約や投資契約において適切に取り決めます。投資家としては競合事業の立ち上げリスクを防ぎたい一方、過度な制限は創業者の次の挑戦を狭めるため、バランスの取れた設計が大切です。
M&Aの場面では、売主である創業者に対して一定期間の競業避止義務を定める例が多く見られます。買収直後に同一事業を立ち上げられては事業価値が損なわれるためです。この場合は譲渡対価という実質的な対価が存在するため従業員よりも広く認められやすい傾向がありますが、対象業務や期間、地域の合理性は引き続き審査されます。
一方、業務委託先や副業人材、外部顧問に対する競業制限には別のアプローチが必要です。外部人材は複数社との並行取引を前提として活動していることが多く、広い競業制限を設けると受託自体が困難になります。契約上の交渉力や拘束の強さによっては、独占禁止法が禁じる優越的地位の濫用などが問題となる可能性もあります。なお、フリーランスへの競業制限が当然にフリーランス法違反となるわけではありません。外部人材に対しては競業避止よりも、秘密保持の徹底や成果物の権利帰属、担当顧客への直接営業の禁止などを丁寧に定める方が目的に合う場合があります。
条項設計の実務確認事項
競業避止条項を契約書へ導入する際は、表面的な文言の強さにとらわれず、実際の紛争で有効性が認められる設計になっているかを確認しておきます。
- 保護すべき対象は営業秘密、独自ノウハウ、顧客関係などのうちどれか
- 対象となる情報が秘密管理性・有用性・非公知性を備えて管理されているか
- 対象者がその秘密情報に日常的にアクセスしている立場か
- 全従業員へ一律に同じ制限を課していないか
- 禁止される事業、職務、顧客、行為の内容が具体的に特定されているか
- 制限期間は情報の陳腐化速度や職責に照らして妥当か
- 地域的な制限範囲の合理性を説明できるか
- 手当や退職金、株式などの代償措置との均衡が取れているか
- 秘密保持や顧客・従業員の引き抜き禁止で目的を達成できないか
- 従業員、役員、創業者、業務委託先など立場の違いに応じて条項を分けているか
実務で機能する条項にするには、契約書上の表現だけでなく、社内でのアクセス権限、退職時の貸与品やデータの返還ルール、顧客情報の管理実態といった日常の業務手順と連動させることが欠かせません。