英国高等法院がAIの架空判例引用に警告|Ayinde事件から見る確認義務
英国高等法院のAyinde事件等の判決から、生成AIによる架空判例引用の事実経過、処分及び法律実務での確認義務を整理します。
一次情報
本解説の対象となった公表資料・発表です。
英国高等法院キングズ・ベンチ部合議法廷(Divisional Court)は2025年6月6日、Ayinde事件とAl-Haroun事件という無関係な2件を併合し、生成AIが作り出した架空の判例引用が裁判所に提出された経緯とその帰結を判断した判決を公表しました。中立的引用番号は[2025] EWHC 1383 (Admin)、事件番号はAC-2024-LON-003062(Ayinde)及びCL-2024-000435(Al-Haroun)です。両事件とも、代理人が生成AIを利用した疑いのある調査結果を確認せずに裁判所へ提出した点で共通しますが、関与した法律専門職の立場、事実経過及び裁判所が下した処分は事件ごとに異なります。本稿は、判決本文で確認できる範囲に限定し、両事件の事実、手続の性質、処分内容及び日本の実務への示唆を整理します。
「Hamid管轄」による併合審理とは
この判決は、通常の民事訴訟や懲戒手続としてではなく、いわゆるHamid管轄のもとで審理されました。Hamid管轄とは、裁判所が自らの手続を規律し、法律専門職が裁判所に対して負う義務を実現するための固有の監督権限であり、R (Hamid) v Secretary of State for the Home Department [2012] EWHC 3070 (Admin)に由来します。合議体は、キングズ・ベンチ部部長であるデイム・ヴィクトリア・シャープ判事(Dame Victoria Sharp P.)とジョンソン判事(Mr Justice Johnson)の2名で構成されました。審理期日は2025年5月23日です。
Hamid手続は、当事者間の権利義務を確定する通常の民事訴訟とは異なり、裁判所が自らの発意で法律専門職の行状を検討する手続です。また、法廷侮辱(contempt of court)の開始や規制当局(バリスター評議会規制部門であるBar Standards Board、以下「BSB」、及び事務弁護士を規制するSolicitors Regulation Authority、以下「SRA」)への付託の要否を判断する場でもありますが、それ自体が懲戒処分を科す手続ではありません。この点は、判決が事件ごとに、法廷侮辱手続の開始の要否と規制当局への付託の要否を別個に検討していることに表れています。
Ayinde事件の事実と裁判所の判断
Ayinde事件は、フレデリック・アインデ氏がロンドン特別区ハリンゲイを相手に、住居確保に関する暫定的な宿泊施設提供義務違反を争った司法審査請求です。依頼者はハリンゲイ・ロー・センターの代理を受け、同センターの最高責任者である事務弁護士ヴィクター・アマディグウェ氏、その監督下にあるパラリーガルのサネラ・フセイン氏、そして訴訟遂行弁護人(バリスター)のサラ・フォーリー氏が関与しました。フォーリー氏が起案し署名した申立書面には、1996年住宅法第188条第3項の効果を誤って記載する記述に加え、El Gendi事件を含む5件の架空の判例引用が含まれていました。被告代理人がこれらの判例を確認できないと指摘した後も、フォーリー氏は具体的な説明や写しの提供をしませんでした。
無駄費用命令(wasted costs order)の申立てを審理したリッチー判事(Ritchie J、[2025] EWHC 1040 (Admin))は、フォーリー氏の説明を排斥した上で、同氏とハリンゲイ・ロー・センターにそれぞれ2000ポンドの無駄費用支払いを命じ、BSB及びSRAへの付託を命じました。同判事は2025年5月9日、事件をHamid担当判事へ付託しています。
合議法廷は、パラリーガルのフセイン氏について一切の非がないと結論づけました。フォーリー氏については、故意に架空の引用を含めたか、生成AIを利用した事実を宣誓供述書で否定した点で虚偽があったかのいずれかであり、法廷侮辱手続開始の閾値には達していると判断しました。もっとも、事実関係の確定が略式手続になじまないこと、同氏の研修・監督体制に関わる問題が同氏単独の手続では扱えないこと、既に公開判決で批判され規制当局への付託も受けていること、同氏が極めて経験の浅い立場にあったことを理由に、法廷侮辱手続の開始又は法務官(Law Officers)への付託は行わないと判断しました。他方で、合議法廷自身もBSBへ付託し、フォーリー氏の研修・監督体制の適否を含めた追加の検討事項を示しています。アマディグウェ氏については、故意に虚偽の資料を提出させた事実はないとして法廷侮辱手続の対象とはせず、被告代理人からの指摘後の対応が不十分であったとしてSRAへ付託しました。
Al-Haroun事件の事実と裁判所の判断
Al-Haroun事件は、ハマド・アル・ハルーン氏がQatar National Bank QPSC及びQNB Capital LLCを相手に、金融契約違反を理由として約8940万ポンドの損害賠償を求めた訴訟です。同氏の事務弁護士はプライマス・ソリシターズのアビド・フセイン氏でした。被告の期間伸長決定を覆す申立てにあたり提出されたアル・ハルーン氏及びフセイン氏の宣誓供述書は、45件の判例を引用していましたが、ディアス判事(Dias J)が裁判所調査補佐官に作成させた対照表によれば、うち18件は存在せず、その他の多くも引用された命題を裏付けていませんでした。ディアス判事は2025年5月9日、この申立てを却下するとともにHamid担当判事へ付託しました。
合議法廷は、アル・ハルーン氏本人については、生成AIツール等を用いて自ら引用を作成したことを認め、裁判所を欺く意図はなかったと判断しましたが、検討の中心は依頼者ではなく法律専門職の行為であるとしました。申立書を実際にはリードせず反対意見を伝えたにとどまる別のバリスターについては、助言内容を示す記録がなく事実関係に争いがあるとして、BSBへの付託の閾値には達しないとしました。フセイン氏については、依頼者が行った調査を独自に検証せずに引用の正確性を確認する基本的な義務を怠ったと認定しましたが、欺く意図はなかったとして法廷侮辱手続の閾値には達しないと判断しました。同氏は既にSRAへ自己申告しており、合議法廷もあわせて付託しています。
裁判所が示した確認義務と規制上の課題
合議法廷は、Bar CouncilやSRAが2023年から2024年にかけて公表していた生成AI利用に関する既存の注意喚起、及び裁判官向けに公表され2025年4月に更新されたAI利用指針の内容を確認した上で、生成AIによる調査結果は、政府の法令データベース、判例のNational Archivesデータベース、公式判例集、信頼できる法律出版社のデータベースといった権威ある情報源に照らして検証する専門職上の義務があると述べました。もっとも、既存の注意喚起を公表するだけでは不十分であり、チェンバーズの責任者や法律事務所の経営陣といった指導的立場にある者、及び規制当局が、この義務が実際に遵守されるための実効的な措置を講じる必要があると指摘しています。合議法廷は本判決の写しをBar Council、Law Society及びCouncil of the Inns of Courtへ送付し、更なる対応の検討を促しました。
日本の実務への示唆
本判決が示す枠組みは英国の専門職規律に関するものであり、日本法上の弁護士の義務として直接読み替えられるものではないと考えられます。もっとも、生成AIが作成した文章をそのまま提出物に用いる前に一次資料で検証する必要があるという指摘は、日本の実務でもそのまま参考になります。翌日以降に実行できる確認事項としては、生成AIが挙げた条文番号や判例番号を、e-Govや裁判所の判例検索、契約実務であれば原契約書そのものに当たって照合すること、依頼者から提供された調査結果であっても代理人自身が独自に出典を確認すること、そして事務所内で若手弁護士が作成した書面のAI由来部分をどの段階で誰が確認するかをあらかじめ決めておくことが挙げられます。条文番号や出典の確認については条文番号・出典は必ず自分で確認する|生成AIの落とし穴で、生成AIの出力を鵜呑みにしない体制については生成AIの回答はそのまま使わない|必ず人が最終確認する理由で、それぞれ具体的な確認手順を解説しています。また、AIと弁護士の役割分担全般についてはAI弁護士とは?生成AI時代の企業法務で弁護士とAIをどう使い分けるか、コーディング支援AIを含む業務での活用場面については法律事務所におけるCodex活用法もあわせて確認することが有用と考えられます。
今後確認すべき動き
本判決は付録で、米国のMata v Avianca事件をはじめ、英国、豪州、ニュージーランド及びカナダの同種事案を紹介していますが、それぞれの詳細は別稿で扱う対象であり本稿では立ち入りません。執筆時点で確認できた本判決後の動きとしては、裁判官等向けのAI利用指針が2025年10月に改訂されたこと、そしてCivil Justice Councilが2026年2月に裁判所提出書面への生成AI利用に関する暫定報告書と意見募集を公表し、その中で本判決が繰り返し参照されていることが挙げられます。他方で、次の事項は本稿執筆時点(2026年7月12日)で公開情報として確認できておらず、未確認として扱います。
- BSBによるフォーリー氏及び同氏の監督体制に関する調査の結論
- SRAによるアマディグウェ氏及びフセイン氏に関する調査の結論
- Bar Council、Law Society及びCouncil of the Inns of Courtが本判決を受けて具体的にどのような追加措置を講じたか
これらの規制当局側の帰結は、判決本文からは確認できないため、続報が公表され次第、あらためて確認することが必要です。